
こんにちは、アートな人生クリエイター・荒巻まりのです!
私は東京藝術大学デザイン科を出て、新国立劇場演劇研修所で演劇を学び、現在は2児の母、俳優、アーティストを兼ねているという
そんな私がなぜブログを書くようになったのか、少々お付き合いいただけたら嬉しく思います。
なぜ藝大に入ったのか
私は小さい頃から絵を描くのが得意で、中高でも文化祭のポスターに選ばれたり、学校新聞のイラストも毎回担当していました。
今思えば井の中の蛙、下手ではないけれど決して上手くもなかったのですが、自己肯定のよすがを探す思春期の私にとっては、それは大切なアイデンティティのひとつだったのです。
でも、美大なんて違う世界のこと。
選ばれた人だけが行くものだと視野にも入れず、普通大学の受験に向けて勉強していた高2の夏。
今まで絵を描いているところなんて全く見たこともなかった同級生が、デッサンバッグを持って夏期講習に現れたのです。
え?!この子が美大を受けるのに、もっとうまい私が美大に行かないのはおかしくない?!
(ごめんなさいごめんなさい、でも本当にそう思ったの)
負けず嫌いスイッチの入ってしまった私は、一転、美大受験コースに入り、美術予備校に通うことにしたのでした。
そしてどうせなら一番のところへ行こうと決め、朝から晩までデッサンに明け暮れたのち、東京藝術大学デザイン科に一浪で合格しま
亡き祖父が本当に本当に喜んでくれて、それだけでも祖父孝行になったかな、と思ったのを覚えています。
しかし…そんな不純、というか傲慢な動機で美大を目指した私には、作りたいものがありませんでした。
天下の藝大。
当たり前のように周りは、ひたすらに上手かったり、世界観を確立していたり、作りたいものが明確だったり…そんな人たちばかりで
藝大生として予備校で講師をしたり、大きな作品を作ったり…形だけはいっぱしにふるまうものの、なんとなく可愛いだけで軸のない
転機となった茄子の絵
そんな中、藝祭だったか卒展だったかの油画科の展示で、茄子の絵を観ました。
今でも忘れられません。
茄子なんです。
なんのひねりもない、写実の、たかが、茄子。
茄子だけ。
その人は茄子だけを描き続けていました。
そしてその茄子が、とっても、よかった。
それを見て、思ったのです。
あぁ。
私はいつも、「上手い」ということだけを大事にしてきた。上手く見せるためのテクニックはたくさん身につけた。
でも、アートをやるなら、私にとっての茄子を見つけないとダメだ。
下手でもいいから茄子を描き続ける先にしか、アーティストとしての未来はない。
そして、藝大デザ科なら選び放題であろう就職をやめ…
演劇の世界に入りました。
なんでやねん!笑
いえね、中高演劇部で、演劇が好きだったんです。
でも無理だろうと思って、とても進路にできなかったんです。
その時、無理かどうかじゃなく好きなことをやる先にしか未来がないとしたら、やっぱりお芝居がやりたいと思ったんです。
演劇を通して見つけた指針
そんなこんなで小劇場での活動を経て新国立劇場演劇研修所で学ぶ中で、たくさん自分、そして人間という生き物に向き合い、今の私
物事は二極ではない、ということ。
善悪、優劣、勝負、正誤…二極で括った瞬間に、自分を他者を裁きはじめて「正しい」ものしか認められなくなり、がんじがらめにな
物事を二極で見ることをやめて、自分の中に起こるものすべてにOKを出していくことで、はじめて自分をまるごと使えるようになる
それは私にとって衝撃的な思考でした。
私の生まれ育った家ははっきりと信仰を持った家で、すべてを善悪で判断して育ってきたからです。
だから自然と、感じること、好むこと、表現するものにもブロックをかけていた。
地獄に落ちたくなかったから。笑
「下手な(価値のない)」ものを敵対視し、自分が下手にならないように必死で守っていた。
そりゃあ私の作品がつまらないわけだ、とその時はじめてわかったのです。
神様は私の中にいる。
自分の内側に問いかければ、答えが返ってくる。
外側にある基準ではなく、ただただ自分にとって今この瞬間は真実なのかと向き合う時間。
その静謐さと、人間がみんなこうして内なる神を抱いていることを知り、私はそれぞれの内側を呼び起こすために芸術をやりたい、と強く思うようになったのでした。
ちなみに2020年に入ってあれやこれやと導かれ、アルシュというお爺さんの龍神と、エトワールという武装した女性のハイヤーセルフと会話するようになりました。
さらに内なる神への信頼を深めていくのですが、それはまた記事内で書きますね。
母になって変わったこと
その後、研修所を出て事務所に所属し、俳優活動をスタートするのですが、なんとすぐに妊娠してしまいます。
やっと自分のやりたかったことを仕事にできたのに、一番流れのある時にキャリアが止まってしまうのか、仕事も決まっているのに。と本当に絶望しました。
でも命を殺すことはどうしてもできない。
良い悪いではないので本当に中絶も考えましたが、断固として拒否する私が中にいる。
というわけで、産みました。
当たり前ですが、仕事は減りました。
何か行動していないと自分が人生から降りてしまったようで耐えられないと、手当たり次第に自分でできる仕事を探している中でふと、今なら絵を描けるかもしれない、と思いました。
ほぼ5年ぶりに、絵を描きました。
美術への挫折感が強すぎて、ちょこちょこやっていたデザインの仕事もバイトだと言い訳をしていた私が、何のためでもなく、自分のために、絵を描きました。
絵を描くなら色をつけてかかなくてはならない。
絵を描くなら時間をかけなくてはならない。
絵を描くならパネルにかかなくてはならない。
そんな今までの思い込みを全部ぶっとばし、一番好きだったペン画を、コピー用紙に。
そしてそれをスキャンして、パソコンで色をつけました。
色が苦手なので、パソコンでたくさん色を変えてみて色を決めました。
5年前の私だったら許せなかったでしょう。
描きたいものを、自分に負担なく、楽しく思い通りに創れるようになる。
それ以上に大切なものはないと、今は思います。
その方法で描いた絵を気に入ってくださった方がいて、一冊丸ごと書籍のイラストを描くことができました。
演劇のチラシにイラストオーダーを受けました。
ブロガーさんのメインキャラクターも描きました。
SNSでプリント画を販売したら、1ヶ月で40枚もお嫁入りが決まりました。
アメリカで展示が決まりました。
そして、自分自身で自分の絵が好きだと言える。
自分に自信がなくて、藝大の名前にしがみついていたころには考えられなかったことです。
活動理念
自分の絵を見つけたい。
絵を描くことが嫌いになりそうだ。
自分の軸を見つけたい。
今よりもっと生き生きしたい。
好きなことを見つけたい。
自分自身とコンタクトをとりたい。
絵がうまくなりたい。
絵が売れたらいいな。
これはみんな、過去の私です。
絵のこと、演劇から学ぶコミュニケーションのこと、心のこと…あ
私の尊敬する演出家、栗山民也さんは言いました。
「俳優とは職業ではなく、生き方なのだ」と。
文中で書いたように、私はそれぞれの内側にある神性を呼び起こす
そして、周りの価値観ではなく自分自身で人生を選ぶ人がたくさん
直接芸術に携わる人であってもなくても関係なく、
一緒にアートな人生をおくりましょう!